大般・涅槃経(だいはつ・ねはんぎょう)について
わたしが60才近いころに「涅槃経を読む・NHK出版・著者高崎直道」を読み、「これこそ我が仏教!」という感銘を受けました。 著者は東大名誉教授。 仏教といえば「無我・無常であり生きるとは苦しみである」と説きます。 ところが涅槃経は有我を説き、常住(不滅)と常楽を強調します。 「仏性」という言葉を初めて使ったのがこの経典ということです。 このお経が出た当初は激しく批判されたという。 それほど革新的表現になっています。
紀元前4世紀ころ大聖ブッダが入滅されました。 その後、何百年にわたって聖なる後継者によって時代に即応した多くの経典が創られています。 紀元前100年頃、大乗仏教という新しい動きが生まれました。 西暦2世紀ごろインドで般若経典が創られた。 内容は徹底して一切空であり、一切平等と絶対自由の境涯が説かれています。 4世紀ごろ大乗経典の最終版として大般涅槃経が完成。 この涅槃経の特徴は❝常住(不滅)❞を強調している点です。 「自らの仏性を悟れば不滅の法門に入り真の喜びを得る」という内容は一切空より分かりやすい。
付記:大乗経典に、華厳経・般若経典・法華経・涅槃経などあり、説法の内容は表現が違っていますが、どれも解脱が根底です。
大般涅槃経より
雪山童子(せっさんどうじ)
ある時、ブッダが弟子衆に一つの物語をされた。・・昔、雪山童子という純粋一途な修行者が、ただ一人でひたすら解脱の法を求めて修行していた。 それを見て天上の神々もおおいに讃嘆したが、中には疑う神もいた。 そこで天界の主である帝釈天(たいしゃくてん)が彼を本物の求道者か試してみようと、見る目も恐ろしい羅刹に化けて、雪山童子の前に現れて言った。 「お前の肉体をわしに食わしてくれるなら、最高の真理を教えてやるぞ」。 雪山童子は「なんと、それはありがたきかな!」と歓喜して、身につけている鹿皮を敷いて羅刹のために法座とした。 「大士よ。この座に座りて我がために法を説きたまえ」。 「教えてやるが、その代わりお前の命を食らうのだ。 わかっているのか」。 「はい、わが身を捧げ供養します。 無上道のためにこの身を捨てれば、わが身は金剛身となるのですから」。 「誰が信じるものか。 わしが教えるのは、ただ一偈である。 わずかな一偈のために命を捨てるなどと、大うそもたいがいにせい!」。
「ウソではありません。 わが誓願の証は十方の諸仏菩薩も天地の神々も、私の捨身を証明されるでありましょう」。 「そこまで言うなら教えてやろう。 代価を忘れるな。」 羅刹は即ち説いた。 「諸行は無常なり。 これ生滅の法なり。 生滅滅しおわりて、寂滅を楽となす」。 羅刹は説き終わって「さあ、お前の欲するものをかなえてやったのだ。 その身を施せ!」。 雪山童子は教わった語句を、あたりの石や樹木そして道に書写した。 そして高い樹木に上った。 そのとき樹神が語りかけた。 「尊き仁者よ。 何をされますか」。「この身を捨てて、語句の価に報いるのです」。 「その語句はどんな価値があるのですか」。 「これは過去・未来・現在の諸仏の所説であり、空法道を開き衆生のあらゆる迷いを晴らす聖語なのです。 一切衆生の利益のために今はこの身を捨てる時です」。 いざ身を投ぜんとするとき 「願わくはわが身を捨離することで、人々が物惜しみから離れんことを。 また人々が高慢の念を離れんことを」。 これだけ言って、樹上から身を投じた。 その瞬間、羅刹は本身に返り帝釈天に戻って、雪山童子を抱きとめた。 すぐさま帝釈天と諸々の天人らが、雪山童子の足下に伏して礼拝した。 「菩薩よ。 願わくはわが無礼を許し給え。 我らは如来の阿耨菩提を何より尊崇しております。 あなたこそ真の菩薩。 この暗闇の世界に法の大灯明をもたらすとは! 願わくは一切衆生とわれらを済度せられんことを」。 こうして帝釈天と諸天人衆は、雪山童子の足に頂礼して忽然として退去したのである。・・・・・
雪山童子の物語を語り終えられて、ブッダは弟子衆にこのように仰った。「汝らよ。 雪山童子とは久遠劫過去世の私である。 往昔、一偈のために私はこの身を捨棄した。 この因縁によって、忽ち無量の時間をこえることが出来、先輩の弥勒菩薩よりも先に阿耨菩提を成就することが出来たのである。」 「私がこれほど無量の功徳を得たのは、如来の正法を供養したからなのだ。 汝らもまた、阿耨(あのく)菩提に真実の心を起こすなら、無辺の諸菩薩よりも速く成道せん」。「これを大般涅槃に住して聖行を修すと名づく」。 大般涅槃経より
付記: 諸行無常。これ生滅の法なり。 生滅滅し已(おわ)りて、寂滅を楽となす。(あらゆる現象というものは、現れては消滅する。 生まれれば必ず死ぬ。 これが表層の真実である。 たとえば海水の泡が生じては消えるのと同じである。
しかし仏眼でみれば、生滅も生死もない。 あるのは豊かな妙なる大海である。 大海は減りもせず、増えもない。 大海とはこの命の本体にたとう。 これが無量寿である。)
誠拙和尚
「生の極は不生、滅の極は不滅」。(死滅そのものが極限になれば、変化して新生となる)。 「大死一番、絶後に蘇る」。(禅語)
易 「陰が極まれば陽となり、陽窮まれば陰となる」。
エンゲルス 「社会現象も自然現象も、量的に極限に達すると質的に変化する」。