仏教では因果・因縁を説きます。
- 因‥‥主原因。直接的素因。 本人。
- 縁‥‥遠い過去から現在までの無量の小因・遠因。 例えば父母・生国・出会う人々・身辺の環境・風土等々。
仏教は因縁(差別)を説き、さらに第一義として空(平等)を説きます。 原田祖岳老師は「仏性を縦割りにすると
因縁(差別・時間)であり、横切りにすると空(平等)である」と説いています。 因果に一点の狂いがないのは、空性
であるから。 凡眼で見れば因果応報が疑わしいが、仏眼で見れば因果は一如であり歴然たりという。
法演禅師いわく「空については抜き身の刀のようなものであるから、不用意に理解し手を出すと命を落とす」。 一切空と
聞いて、うっかり因果を無視してはならない。また虚無に陥ってはならない。
空を真に理解するにはどうしても「悟り」の体験が必要ですが、こればかりは書物からでは無理なようです。 凡人は仏祖
の大悟の機縁を学んで、多少とも窺うしかありません。
唐時代には例えば馬祖禅師・百丈禅師・黄檗禅師・臨済禅師等々と続々と偉大な祖師が祖灯を守り、次世代に確実に仏法の
精髄が受け継がれていきました。
次は典型的な禅問答ですが、大禅匠の馬祖禅師に、修行僧の法常(ほうじょう)が質問しました。
法常問う「如何なるかこれ仏」。 馬祖答えていわく「即心即仏!」。 法常言下に大悟した。
大物同士の宗師と修行僧との出会いともなれば、一問一答の下に大悟の受け渡しが完了してしまうようです。