博山(はくさん)和尚参禅警語(中国・明時代の禅書)
明時代は中国の仏教も下火傾向となり、そんな時代に、元来(げんらい)和尚という禅僧が気を吐き大勢の弟子を育てました。 博山という所に居たので博山和尚と称された。
博山和尚参禅警語
禅工夫をなすには、まず「生死を破る決意」を発すること堅強なるべし。 しかして世界身心これ悉く仮縁にして実の主宰なしと看破せんことを要す。 禅は疑情を起こすことを貴ぶ。疑情とは「生は何れより来るや。死は何くに去るや」これなり。
数学者トム(フランス)
「全てのものごとは頂上に達すると不安定になる。 頂上からは安定の局面に向けて一気に下降する。 これをカタストロフィの理論という」。
付記:この宇宙には太陽よりも何百倍も巨大な恒星があり、その恒星の重力がたいそう強いので、自分の重力で自分の中心点に向けて縮んでいく。 その恒星は縮んで遂に極限までいくと、大爆発する。そして全ては宇宙のチリとなって広がっていく。 中にはブラックホールになるという壮大な話です。 これは坐禅のイメージにも似ています。 内面の一点に向かってグイグイ追求する。 そして集中の極致にいたって、豁然大悟する処です。 「大悟」の瞬間は「爆発」という表現をしています。
アテネの哲人(1)
「魂は不滅である」は哲学者ソクラテスの言葉。 いわく「正義とか真理とかいうものは、視覚や聴覚でとらえることは出来ない。 肉体と魂とを切り離して、純粋な精神になって考えるのが哲学者の仕事だ。」 「善とか真とかをじかに手にすることもできない。 ただ魂のみになって思索することで、理解されることである」。 「哲学を学ぶものが死を恐れるのはこっけいだ。 善良に生きるものは死を何ら恐れることはない。 もっと楽しい世界に行くのだから。 私にはそれがハッキリ見えるのだよ」。 この偉大なる哲人は難しい言葉や表現などに関心なく、日常の用語で善き生き方を自覚せしめようとしたと。 神さまのことや死後の世界も語っています。 彼は死刑判決を受けたが最後に臨んで、友人や弟子たちが深く悲しんで泣くのをみて「おいおい、何をそんなに悲しんでおるかい。 私の死は無駄ではない。 アテネのためになるのだから」と死を前にした当人が皆を励まし、普段と変わらない態度で毒杯をあおぎ死を受け入れました。 ▲
河口暎著「裁きをこえて」 日本教文社 昭和55年・中高生向き▲
付記:ソクラテスの思索はただ知性だけでなく、生まれながらの深い悟性(ひらめき)が具わっていました。 西欧にはインド式の身心一如のような瞑想法が少ないようですが、それでも天性の素質ある人が神秘体験をしています。
ソクラテス(2)
ソクラテスは見せかけの学問を嫌って、よき生き方を求めようと青年たちに話しかけた。 ソクラテスには特異なことがあった。 それは彼が思索三昧に入ると、そのまま不動の姿勢になるという奇異な体の現象である。 彼が何か熟考が始まると座っている時なら座ったまま、立っている時なら立ったまま、何時間もその姿勢が続く。 そんな固まったような状態が数時間もたって、ふと我に返ると彼は大いに納得顔で平常にもどった。 禅語に「天地と我と同根、万物と我と一体」とある。 ソクラテスは生まれながらに禅定体質なのか、深く透徹した集中が可能でした。 これは禅僧が深く禅定に入って何時間も坐禅を続けたというのに似ています。 これは無理に長くしたわけではなく、深く集中し歓喜の境地を味わっている間に時間が経っているらしい。 ソクラテスは兵士として戦いに三回ほど参加したことがある。 その戦いぶりはまるで鬼神のごとき勇猛さで、余りにも恐ろしい気迫に敵兵は近寄れず、彼の周りには輪ができたという。 また兵糧が尽きて何日も食べないときもあり、兵士たちは体力を失って動けない状況の中で、ソクラテスだけは衰えがなく普段と変わらずパワフルであった。 そして久しぶりに食べ物がみんなに振舞われた時には、人の何倍も食べ誰よりも飲んだ。 みんながあきれる中で、彼はケロリとしていた。 寒さの厳しい中でも平気というから、その豪傑ぶりは「異次元の存在」です。 ソクラテスは71才で死刑判決を受けました。 偉大過ぎて市民に理解されなかったという。 もちろん彼を救おうとする人たちがいました。 心から尊敬している有力者の一人が「貴方を必要とする人たちが大勢います。 獄舎から脱出できる手はずは整っています」と、強く刑を逃れるように説得した。 ところが彼は感謝しながらも断わります。 「私はアテネを愛している。そのアテネの法律を破るわけにはいかない」。 旅行にでも出向くように周りの人たちに「なにも心配いらない。それより君たちはよい生き方をしてもらいたい」と平常心を失うことはありませんでした。 ▲