いろいろ(その1)の続きです
「僕は偽薬を売ることにした」
国書刊行会・水口直樹著(サンケイ・令和1)。 著者の水口氏は京大大学院卒。製薬会社に入社。その後独立して現在はブラセボ製薬株式会社代表。 商品として偽薬をあつかうという。 見た目は薬だが薬効成分が入っていない代物である。
これは介護施設において、何度も薬をほしがる認知症の高齢者にわたされる。 高齢者の気分が落ち着き、薬効成分が入っていないので副作用の心配がないという。 偽薬によって何らかの改善がみられる「ブラセボ効果」は知られていることである。。
医療の場では患者の説明と同意(インフォームドコンセント)が求められるので、偽薬の使用は難しい。 それが最近、過敏性大腸炎やうつなどで偽薬と知って飲んでも、改善がみられるという研究が報告された。 水口氏「医療の場で使用できれば、副作用が減り医療費の抑制になります」。▲
付記:本物を知った上で、時に応じて仮のものも使いこなすのは、興味深いところです。 作り物のドラマもアニメも、本気で泣いたり笑ったり元気をもらったりします。 宗教を「ブラセボ効果」だと評価するむきもあるかも。
中村好男(66才)愛媛大教授(平成20)
中村先生が帯広畜産大4年のとき、農家から「土が固くて大豆も小豆もとれない。 一体なぜだろ」と質問された。 そこから中村先生はミミズの存在に注目することになった。 ミミズはひたすら土の中を動き回って、土をフカフカにする。 ミミズを殺せば土も死ぬのだ。 ひたすら効率化で成果をあげた日本の農業ではあるが、化学肥料でミミズを殺す農法に疑問をもった。 以後中村先生はミミズの研究に打ち込んだ。 10年目でミミズを活用した農法で、大豆と麦の二毛作が可能なことを立証した。 2000年に農水大臣賞を受賞した。
中村先生は、孟子の言葉の蚓操(いんそう)を引いて「何も求めずただ自分の役割を果たす」というミミズの生き方を尊ぶ。 中村先生が目指すのは「地球の鍬」「大地の腸」と古人から称えられたミミズの復権である。▲
付記:足実地を踏む研究です。
倉橋弘・国立感染症研究所・研究員(平成17)
「ハエはうるさいし伝染病を媒介するしで、忌み嫌われる存在です。 しかしハエは生態系の中で重要な役割を果たしています。 ハエの幼虫「ウジ虫」が汚いものを処理してくれる。 ウジ虫は死体・糞・腐った植物・ごみなどをエサにする。 汚物にあるアミノ酸で成長していくのです。 地上の汚物は種々の微生物で分解されるが、特にハエがいることで分解が加速される。 ウジ虫自身が鳥のエサになって、生態系の輪の中にいる。 もしハエがいなければ汚物はなかなか分解されず、衛生環境は最悪になります。」▲
付記:ミミズもウジ虫も科学の光があてられて、その大切な役割が明瞭になりました。
タレス(紀元前640?~546?)の言葉
「最も難しいのは自分を知ること。 一番易しいのは、人にアドバイスすること。」
付記:タレスは紀元前6世紀頃のギリシャの人。 古代の人ながら神話から離れ、自然現象の本質を合理的に思考し、「万物の根源は水である」の説をたてたと。 全てが変化する中に本質不変のものを問題にしたことが、彼の偉大さだという。 タレスはエジプトで幾何学を学び、数学をさらに発展させ「ギリシャ数学の祖」また「哲学の祖」とされる。 これぞ理系の大天才。 ソクラテスはタレスの約百年後の人。 (人名辞典・富士書房)
付記:この頃の日本は文字も仏教もまだなかった縄文時代。 素朴な農耕民族で、強い結束と勤労が第一でした。
登山家の野口健氏のお話
「ふつう登山は無理をしてはいけない。 しかしアルプスの登頂なら、無理をしなければ登れない。 無理にはしてはいけない無理があり、一方では経験と工夫と諸々によって可能性を広げる無理がある」。▲
付記:いつもいつも合理的にいくものでもありません。 この世は不確実の中にあって確かなものを手に入れるため努力せん。
羊飼いの少年、インドの昔話
インドの田舎のある少年は、仙人になりたいという夢がありました。 母親は「厳しい修行を何十年もするんだよ。 仙人なんてなれるわけない」と大反対。 それでも彼は決してあきらめないので、母もついに折れて、彼は仙人の住むという山にむかった。 山中深く突き進み、仙人の長老についに会うことができた。 長老はひと目で少年の真剣さを知り、弟子入りを許した。 日常の食事は果物・木の実・野草等といった自然のもの。 集中法・呼吸法・静座・滝行等々の厳しい日々が続いた。
ある日、長老が少年に尋ねた。「おまえの一番に好きなものは何や」。 「はい、子羊のポーです」。 「そうかい。 ではこれからはその子羊のことを、ずっと念じ続けなさい。 強く念じて子羊と一体になるのや」。 大好きな子羊のことなので、少年は喜んで瞑想のときも歩くときもポーのことを念じ続けた。 数年が過ぎたころには、少年はもはや自分がポーになり切ったかのようである。 様子をずっと観察していた長老はある日、少年を呼んだ。 仙人は少年の目を見据え、やにわに少年の頭の上に手をのせた。 その瞬間、少年の全身に衝撃が走った。 しばらくして我に返ってみると、なんと全てが新しい世界! 自分の体はまるで羽のように軽く、喜びが全身を突き抜けた。 仙人「よしよし、よう辛抱した。 だがまだこれは初歩や。 これからもさらに継続すれば、空に自由に飛べるようになる」と初級の許しが出た。 その後、彼はひたすら修行を続け、飛行三昧を修め、無垢三昧を体得した。▲
福田恆存(1912~1994)劇作家
自己中心主義が個人の多極化をもたらしたが、「多極化するということは、実は極がなくなること」だった。 近代は自由・平等を目指したが、「これらを得た後はどうするか」は考えてこなかった。 神と理想的人間像なくして、「個人の確立」もまたその超克もありえぬ。▲
付記:戦後の日本は左翼思想が吹き荒れたが、その中で福田恆存は敢然と保守を唱えたそうです。
佐伯啓思(元京大教授)(平成元年)
リベラリズム(進歩主義)の名の下に、伝統は拒否され、既成の権威が否定される。 差別に敏感であり過剰な平等。 偉大な思想は否定される。 リベラリストにとっては、精神の偉大さ・善き生活・伝統・古典等それらも「単なる一つの文化」に過ぎない。 平凡で退屈な民主主義の蔓延。 単調な多様性。 精神の空洞。 反権威主義が知的文化スタイル。これが文化相対主義である。
付記:当世を覆う気分を明快に説いています。 佐伯氏は常々保守の立場で「現代の問題点」をあばいています。
医師・永井駿(84才)の体験 (平成6年・EVテレビ)
私は東大在学中にマルクスに夢中になり、そのため特高に逮捕され、拷問を受けました。 覚悟を決めて「心頭滅却すれば火もまた涼し」の禅の言葉を思い腹をくくった。 拷問ではガンガン火の火鉢に無理やり手をかざされたが、さほどに熱く感じなかった。 担当者は不思議がって自分の手をかざしたが、熱さに思わずひっこめた。 それでもその時のヤケドが今も残っています。 この経験からマルクスよりも禅に興味がわいたので、立田英山老師について坐禅を始めた。 結婚して子どももいたが、学徒出陣で兵役についた。 軍事教練のとき、弓の大会があり私が優勝。 そのときは弓の的が大きく見えた。 このとき那須与一の話に合点したものです。 海上で敵の魚雷がわが方の船に向かってくるのが見えた。 白いものがすーっとこちらの船に当たった。 とっさに目と耳をふさいだ。 目がとびだし、耳が破れるのを防ぐためである。 船がやられ、海に投げ出された。 海はスコールで荒れていた。 その時、3才のわが子の幻影が見えた。 「おとうちゃん、がんばり!」。 次に現れたのが立田英山老師「しっかりしろ!」と励まされた。 続いて見えたのが白衣の老人である。 この老人が「これだ」と観音経を示された。 坐禅のときに誦んでいたものです。 投げ出された海の上で、こうした奇瑞のようなことがあって元気が出た。 誰かが後ろから押してくれるかのように泳げた。 救助されたが、そのとき気づいた。 凪いでいたはずの波が、実は船をこえるような大波であったのです。 観音経の功徳は例えでなく、真実であると確信がうまれました。 このとき約五千人もの犠牲者があり、救助されたのが35人でした。 その後幸いにも帰国し、家族との再会を果たした。 老師に挨拶に上がり、数々の霊異の話もしたのですが、老師は大いに喜ばれたが、靈異のことでは注意された。 「便宜を得れば便宜に落つ。 参禅の者は霊力や神通に執着するものではない」と。 奇跡の生還を果たしたが、これまでの栄養不足や無理がたたって重い結核になった。 医師の診断は厳しく、10年はかかりそうだと言われた。 助けられた命だと思い、気持ちを奮いたたせた。 翌日のこと。その日は気分は至って晴れやかで、外の陽光が美しく、木々はひときわ輝いて見えた。 と思った途端、「これだ!」と悟った。 一切の迷いが消え、全身が例えようのない歓喜に満たされた。 ほどなくしていつの間にか結核が快癒した。 これ以上のことはないと思うほどの体験でした。
老師に報告すると喜ばれたが注意もされた。 老師「貴公の見性(けんしょう・悟り)体験は確かなものだ。 しかし一時の技量ということがある。 さらに向上の関門あり。これからが大事だ」と戒められた。 これが私のこれまでのウソ偽りのない体験です。 皆さんには私の体験を客観的に判断して頂きたい。
(平成6年ETV)
付記:神通力や霊威の話は「正法にあらず」といって禅宗では避ける傾向です。 神通力は脇道であり本来の修行の道ではないという。 ブッダも神通力の発揮を控えられました。 しかし、坐禅修行の成果として、特殊な力がつくことがあるようです。 凡人には羨ましいですが、禅門では無視せよとのことです。
ソックスマン(牧師・アメリカ)
「知識の島が大きくなればなるほど、不思議の海岸線が大きくなる。」 ▲
付記:素粒子・ビッグバン・宇宙の膨張‥等々、極微から宇宙のことまで、物質のことはあらまし解明されたかのようですが、不思議の海岸線は広がるばかりですから、科学は常に発展途上で気が休まりません。
某氏(昭和60・メモより)
「科学というものは、人間の悪というものに対して無感覚な知である。 科学の欠陥は、当にそれが科学であることから生ずる。」▲
付記:科学はまるで神さまのように、なんでも実現してしまう。 人間のすごいところですが、人間はときに狂うので危い。
数学者・社会思想家(イギリス)バートランド・ラッセル卿
「我々の世界観は唯物主義に基ずく限り、大いなる絶望の上に建てられる」。(仏教学者・渡辺照宏の講話より)▲
付記:ラッセル卿によると、唯物主義・科学主義では魂は救われない。 信仰というものはうさん臭いが、では科学はいつも正しいのかというと、話はそう簡単ではない‥。
天谷直弘
かって昭和のテレビにもよく出た天谷直弘というやりての官僚が、病に倒れ惜しまれてなくなりました。 行年69才。 彼いわく「死はこわくないが、この世から離れるのは名残り惜しい」。
岸本英夫
また昭和に岸本英夫という哲学宗教を専門の東大教授が、癌になってこれまでにない苦しみに襲われた。 そこで思わずもらした言葉。 「昔の人は幸せだ。 神仏を信じることが出来たのだから。 現代人は知識があり、信じることが難しい」。