こちら80代、隠居の凡僧(臨済宗)。 小中高のころの成績はオール3と低レベルですが、19才で禅書に出会いました。 禅書の内容は、その多くは修行者の苦闘と難関突破の物語です。 深く禅定に入って豁然と大悟する物語は痛快この上ないものでした。 愚かなるわが身を忘れて出家を願い、28才で宿世の縁あって僧侶となることができました。 凡人の悲しさ今も悟れず。 私の若いころは明治・大正生まれの世代が現役で、まだ古風なお坊さんが健在でした。 そういう方々を慕う思いで、わがおさらいの記録です。 (水野庄平・立命大卒)
内容 ブッダ・・インドの僧・・高田好胤和上・・ナンダ王子・・因果と 輪廻・・坐禅儀・・北隠和尚・・玄峰老師・・
ブッダの言葉・・文明・・農家の嫁・・ シュリハントク・・正三和尚・・元暁和尚・・感興のことば・・徳本上人
1,ブッダと祖師
ブッダ(お釈迦様)
修行時代のブッダは禅定の達人に「無想定」を習いますが、当時の最高レベルの禅定をマスターしても、まだ満足できず、ただ一人さらに一段と激しい修行をされ、遂に涅槃の実相を徹底大悟された。御年35才の時。 闇の世界に大光明がもたらされた瞬間です。 ブッダが大悟された時に思わず 「奇なるかな! 誰もが涅槃妙心を具えているとは何と不可思議なことか!」と言われた。
付記:涅槃妙心‥‥仏性のこと。正法眼。不死の法門。
ブッダ
「不死が得られた。 私はこの法を説く。 私の教えを忠実に学び実行するものは、私と同じく不死の境地に至るであろう」。 「修行者よ、誰もが最初から最高の智慧が得られるわけではない。 知るべきことを知り、行うべきことを行えば、この智慧を得る時節が必ず来るであろう」。 「不死の法門を知らずに百年生きるより、不死の法を知って一日生きる方がよい。」 ▲
付記:ブッダは大悟された時の喜びが余りにも大きく、そのままその場で坐禅を十日以上続けられた。 当初は「これほどの体験は私以外には無理だ」と思われたが、神々の説得があって伝道の旅に赴かれた。(水野弘元著・「釈尊の生涯」春秋社)
如来蔵経
「あらゆる人々に、仏性が微動だにせず存在している。 輪廻の世界に転生しても少しも汚されない。」
付記:仏眼で見れば、「人々本具」(にんにんほんぐ)である。 (一人一人に仏性が具わっている。) たとえ転生して
長く悪縁に輪廻することがあろうと、仏縁に会えば必ず誰もがいつか悟りを開くことが出来る。
霊源和尚(11世紀・中国宋代)
「たとえば人が少金剛を食して命終わり身滅すとも、その少金剛は臓腑の腐乱するとも変ぜざるごとし。 清浄堅固なること元のごとく、仏性もかくの如し。 教中にいわく「真実の菩提心を発する者は、たとい生死輪廻の中に入るとも、この心は真実にして終に悪業のために流転せられず。」
善慧大士(中国)
6世紀、善慧大士は中国の維摩居士といわれる人物。 「当に禅定の力をもって功熟して、すなわち證知すべし。 怠惰も得ず、焦って急ぐも得ず。 ただ常に工夫休まざれ。 必定して虚しからず、乳中に酪(チーズ)あるがごとし。 要は須らく工夫相続してその縁を待つべし。」
付記:要は焦らず工夫続けて縁を待つべし。 禅定の功が熟して大悟すべし。
広徳和尚
修行僧が広徳和尚に質問した「一切空とはどういうことですか」。 広徳和尚「雑踏の中に馬で走り、誰にも触れずに自由に駆け抜けるようなことだ。」五灯会元▲
付記:人間は肉体の束縛と精神のかっとうがあり、常に不自由極まりない。 涅槃はどんな存在(障害)があろうと、スイスイと自由に通り抜けてしまう妙智力をいう。