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こちら80代、隠居の凡僧(臨済宗)。  小中高のころの成績はオール3と低レベルですが、19才で禅書に出会いました。  禅書の内容は、その多くは修行者の苦闘と難関突破の物語です。 深く禅定に入って豁然と大悟する物語は痛快この上ないものでした。  愚かなるわが身を忘れて出家を願い、28才で宿世の縁あって僧侶となることができました。  凡人の悲しさ今も悟れず。  私の若いころは明治・大正生まれの世代が現役で、まだ古風なお坊さんが健在でした。  そういう方々を慕う思いで、わがおさらいの記録です。 (水野庄平・立命大卒)

内容  ブッダ・・インドの僧・・高田好胤和上・・ナンダ王子・・因果と   輪廻・・坐禅儀・・北隠和尚・・玄峰老師・・   

  ブッダの言葉・・文明・・農家の嫁・・  シュリハントク・・正三和尚・・元暁和尚・・感興のことば・・徳本上人

   

 

 

  1,ブッダと祖師

  ブッダ(お釈迦様)

修行時代のブッダは禅定の達人に「無想定」を習いますが、当時の最高レベルの禅定をマスターしても、まだ満足できず、ただ一人さらに一段と激しい修行をされ、遂に涅槃の実相を徹底大悟された。御年35才の時。      闇の世界に大光明がもたらされた瞬間です。   ブッダが大悟された時に思わず 「奇なるかな!  誰もが涅槃妙心を具えているとは何と不可思議なことか!」と言われた。

付記:涅槃妙心‥‥仏性のこと。正法眼。不死の法門。

 

    ブッダ

「不死が得られた。 私はこの法を説く。 私の教えを忠実に学び実行するものは、私と同じく不死の境地に至るであろう」。  「修行者よ、誰もが最初から最高の智慧が得られるわけではない。 知るべきことを知り、行うべきことを行えば、この智慧を得る時節が必ず来るであろう」。  「不死の法門を知らずに百年生きるより、不死の法を知って一日生きる方がよい。」 ▲

 付記:ブッダは大悟された時の喜びが余りにも大きく、そのままその場で坐禅を十日以上続けられた。   当初は「これほどの体験は私以外には無理だ」と思われたが、神々の説得があって伝道の旅に赴かれた。(水野弘元著・「釈尊の生涯」春秋社)

 

  如来蔵経

「あらゆる人々に、仏性が微動だにせず存在している。  輪廻の世界に転生しても少しも汚されない。」

 付記:仏眼で見れば、「人々本具」(にんにんほんぐ)である。 (一人一人に仏性が具わっている。)  たとえ転生して

長く悪縁に輪廻することがあろうと、仏縁に会えば必ず誰もがいつか悟りを開くことが出来る。

 

 

  霊源和尚(11世紀・中国宋代)

「たとえば人が少金剛を食して命終わり身滅すとも、その少金剛は臓腑の腐乱するとも変ぜざるごとし。  清浄堅固なること元のごとく、仏性もかくの如し。  教中にいわく「真実の菩提心を発する者は、たとい生死輪廻の中に入るとも、この心は真実にして終に悪業のために流転せられず。」

 

 

  善慧大士(中国)

6世紀、善慧大士は中国の維摩居士といわれる人物。 「当に禅定の力をもって功熟して、すなわち證知すべし。 怠惰も得ず、焦って急ぐも得ず。 ただ常に工夫休まざれ。  必定して虚しからず、乳中に酪(チーズ)あるがごとし。  要は須らく工夫相続してその縁を待つべし。」

付記:要は焦らず工夫続けて縁を待つべし。 禅定の功が熟して大悟すべし。  

 

  広徳和尚  

修行僧が広徳和尚に質問した「一切空とはどういうことですか」。  広徳和尚「雑踏の中に馬で走り、誰にも触れずに自由に駆け抜けるようなことだ。」五灯会元▲

付記:人間は肉体の束縛と精神のかっとうがあり、常に不自由極まりない。  涅槃はどんな存在(障害)があろうと、スイスイと自由に通り抜けてしまう妙智力をいう。


  2,インドのお坊さん

昔インドにとても乱暴な性格の王さまがいました。   この王さまが狩りに出て、鹿を追っていたが見失ってしまった。 みると木陰に一人の修行僧が坐禅をしているので鹿の行方を尋ねたが、修行僧としては嘘がつけないので黙っていた。 すると王は怒っていきなり、僧の腕を切りつけた。 深い切り傷からは、不思議にも白く乳のようなものが流れ出た。  家臣は驚き「王さま、乱暴はおやめ下さい! この方は戒律を堅く守っている方です」。 修行僧は苦痛に耐えながら言った。 「私が切られたのは過去世の報い、あるいは今生の試練です。 私は王さまに憎しみを持ちません。 全ての人や生き物に慈しみの心を持つのがブッダの教えですから。 私の血が母の乳のように白くなったのは、この教えのおかげでしょう。  この教えを知らずに暴力をふるう王さまは、なんと不幸なことでしょう」。 痛みに耐えて乱れぬ僧の態度に王さまはそぞろ畏れを感じ、心から懺悔を求めた。 修行僧は微笑んでいった。  「一心をもって懺悔(さんげ)すれば、重い罪も軽くなります」。  王さまは二度と乱暴はしないと堅く誓った。     (六度集経) ▲ 

   

付記:かっては教えを伝えることは命の危険もあり、伝道はとても困難なものでした。   強い願心と人格の力がなければ、伝道は出来ることではありません。


 

  3,聖語

  涅槃経

ブッダ「輪廻は始まりのない大昔から続いている。  人々は無知に覆われ、欲望に縛られ、生と死を繰り返し苦悩の中で流転している」。  「過去世の私も、愚かにして智慧なく実相を見ることが出来なかった。  だから私も流転して久しく生死を繰り返し、大苦海に没していたのだ。  しかし苦・集・滅・道の真理を悟って、生死の苦悩を断ずることを得たのである。」

「この不思議解脱の力は一切のものに具わっている。 ただ悟る時期が遅い速いの違いがあるのみ」。▲

付記:お経では、お釈迦さまも前世においては愚かな者で長く浮き沈みしておられたとあります。

 

  ブッダ、「感興のことば」

「この世では自己こそ自分の主である。 他人がどうして自分の主であろうか。 賢者は自分の身を調えて智慧を獲得する。 自己こそ自分の主である。  賢者は自分を調えてあらゆる煩悩の束縛を断ち切る。」

付記:仏教といえば「無我」「無心」ですが、「天上天下唯我独尊」という意味でもあります。 無心はのっぺらぼうのうすぼんやりの状態ではない。 無心を体得したとき、真の主体性という活物を手にする。  白隠禅師の宗風によれば、無心の境地の実現は勇猛心の持続で可能になるといいます。

 

  善慧大士(5世紀・中国)  「心の中に王あり。形なきといえども大神力あり。心王は身体の内にあって自在に災いを消し、万徳を成ず。」

 

  白隠和尚   「人はもし財布を落としたら、何をおいても捜すではないか。 にもかかわらず、この我が胸にある無上の宝を、なぜ探そうとしないのか。 これほど惜しいことがあろうか」。


  4,「現代に必要な地獄の思想」高田好胤和上

(昭和60・サンケイ新聞)  高田好胤(こういん)という和尚は、昭和の頃わかりやすい説法で活躍された薬師寺(法相宗)の管長さまです。  地獄について本気で話すなど当時でも希でした。

高田和上「来世などといえば否定することが、現代人の教養であるが如くにいう人が多いが、 これは現代人のエゴイズムの思い上がりである。  どうして来世を打ち消すことが出来ようか。  私たちのご先祖は、地獄極楽の思想で道義心や思いやりの心を育てられた。 それが今日では自分たちだけがよければよいという、享楽的な世の中に落ち果てた。 未来を思えば恐ろしい所業である。  命あるものは六道輪廻する。  六道とは地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上であり、これらはすべて迷いの世界(迷界)である。  天上というと幸福そのものと思いがちだが、仏教の上では迷界である。  天人の寿命は二万年と長い。 しかし長い寿命も尽きるときがくる。  そのとき天人五衰という老衰症状が露わになる。

すなわち、①天人の体を飾る花が枯れる。 ②天人の衣が汚れてくる。 ③体が臭くなる。 ⓸視力が衰える。 ⑤厭世観に襲われ絶望する。 以上の症状である。 これをみるに、現実の私たちの生活そのものを示唆するところ大ではないか。 現在の繁栄と自由を享受する日々は、まさに天国ぐらしであるが。」  「天人が天上界を去るときの苦しみは、地獄の苦しみよりも何倍も大きいのである。 山高ければ落ちゆく谷底はいよいよ深い。 なんとも穿ちえた表現であり、教戒ではないか。

般若心経に『一切の顛倒から遠く離れよ』と説く。 ないものをあるように思い、物事を逆さまに見て妄想を抱くことを顛倒(てんどう)という。 この文字が私には身に沁みる。 私たちは今、文明化が即ち進歩と思い込んでいるが、これが顛倒である。  文明化による欲望の肥大を進歩と思い込むなど、これが私たちの顛倒である。  この顛倒に気づくことがなければ、堕地獄の報いからの免れは所詮術なき沙汰である。▲

付記:要点はエゴイズムが現代人の顛倒である。 天界から去る時は、耐えがたく地獄の苦しみよりもはるかに大きい。 文明化が進歩と思い込むのは顛倒である‥等々。

 

  顛倒の時代に顛倒の主張あり 😱

「忍耐に意味がない」 「貧乏人は無能で不幸」 「苦しみが人格を磨くという変な思い込み」  「日本社会は同調圧力が強く住みづらい」  「日本は市民革命の経験がないので、日本人は市民意識というものがない。今も自立していない」など。

かくして日本人本来の持ち味が、失われていきます。  


  5,法を説く

  涅槃経

 「説く者に智慧なく慈悲なくば、聴く人は不信を生ず。 まだ因縁熟さずば不信の者に急いで法を説くなかれ。 悪人に戒律を讃じるなかれ。  強欲の者に布施をあえて言うなかれ。  なぜなら彼らは法を聞き、反って怒り・憎しみや不信を生じて、未来世において永く苦報を受けん」。▲

【訳】説者が未熟なら、聴くものは不信を抱いてしまう。  未熟者が疑い深いものには法を説いてはいけない。 不徹底のものが性悪の者に対して戒律・布施について語るなかれ。 なぜなら説けば説くほど、彼らは反発し怒って反って悪業となってしまうからだ」。

付記:親切なつもりで余計なことをするのが凡人。 未熟者が軽々に法を説いてはいけない。自戒。 人によって因果応報の話をしてはいけないことがあります。 私はかって親しい人に、「因果の話はやめてくれ」と言われたことがあります。 またある人に、苦労して成果を出すという話をすると「その手の暗い話は苦手」といわれた。 

 

  賢者は学ぶ。凡人は教えたがる。 

タレス「一番難しいことは自分を知ること。一番易しいことは他者を批判すること。」   聞いた話ですが、「イギリスの教育は余り多くのことを教えることはしない。 ただし大切なことを徹底的に教える」と。

 

 

  龍樹尊者(2世紀・インド)

もし彼の法利のためになるなら、毒も施すを許す。 もし彼の法利を害するなら甘露も施すことを許さず。 ▲  

付記:対機説法のこと。 達道の智者は、人の悟りのためになるなら、荒っぽいこともする。 縁の熟していないものには

あえて説かない。 名医は症状に応じて薬を決めるのと同じ。経験豊富でなければできません。 

 

 

   常不軽菩薩(法華経) 

常不軽菩薩は全ての衆生に仏性があることを尊び、あらゆる人々を礼拝し「我は汝らを深く敬う。 汝らは必ず仏に成ることを得る」と言いながら遊行した。  中には怒り害する者もいたが、怯むことなく変わらず人々を礼拝の行を続けた。

 付記:心中に怒りのない至誠の人が説く場合は、相手の怒りも仏縁の種子になります。


  6, ナンダ王子

ナンダは元シャカ族の王子であり、またブッダ(おしゃかさま)の異母弟というのですから、ただならぬ出生です。 そのナンダ王子が成長し、今日はナンダの立太子式と結婚式という二重の晴れがましい日のこと。   あろうことか、ナンダ王子はブッダの意向で仏弟子にされてしまいます。  いきなり修行僧らと戒律の暮らしに入るのです。  人生で最も幸せの日に、強引に出家にされてしまったナンダですが、なにしろ大聖ブッダの指示ですから、逆らうわけにもいかず渋々坐禅中心の生活です。  心の中は修行よりも婚約者のスンダリー姫のことばかり。   その様子を見て、ブッダはやむなく神通力を使われます。 「ナンダよ、私について来なさい」とブッダが向かったのは、天上界(天界)という異界です。 

そこは楽しみだけの世界。 高楼美園、風薫り鳥舞う。 得も言われぬ美しい音色が響く中で麗しい天人・天女が楽しげで、中でも一人ひときわ美しい女性が目についた。   彼女に話を聞くと「わたしはナンダという方の婚約者です。 ナンダさまは

今、地上でとても尊い修行をされています。 この修行の功徳で私はナンダさまと結ばれるのです」。   なんとこの姫は私のフィアンセ! これぞ修行のありがたさ。 ナンダはすっかりのぼせあがってしまいました。

それからのナンダは人が変わったように、修行にそれは熱心なこと。 あれほど慕っていたスンダリー姫のことはスッカリ忘れ、頭の中はあの天女のことでいっぱい。    熱心ではあるけれど、その本心はただ天女と結ばれるためである。 次第に

修行僧たちの中で「ナンダ君はおかしい。 我らの目指すべき悟道から外れている」と問題になりました。   見かねたブッダは「ナンダよ、来なさい」と再び神通力を発揮され、今度は奈落の底!  恐ろしい地獄です。 そこは死者がエンマ大王の前に引きずり出され、生前の一切の悪行が浄玻璃(じょうはり)の鏡に映りだされてしまう。  地獄の役人は獄卒といい、罪人どもを荒々しく痛めつけますが、獄卒は仏弟子であり悪者ではない。  エンマ様の判決の下、獄卒が容赦なく一切の罪を洗い流す慈悲行を実施してくれます。  地獄は新たな出直しをする場所であり、どんな極悪人でも償いが出来て、必ず出獄の時期があります。    針山・剣山・血の大河・大火炎・・そこでもがき苦しむ男女の悲惨な情景を見て、ナンダは震え上がった。   その中で一人の獄卒は、たっぷり油の入った大きな鉄窯を薪でガンガン火をおこし、油をグラグラ煮えたぎらせている。 その獄卒が言うには「この窯はナンダというバカ坊主を放り込むためだ。 ナンダは王位を捨てるという大きい功徳を積み、仏道修行という尊い縁があった者である。  ところが天女とうつつを抜かしたことで、せっかくの功徳が水の泡。 あげく執着が抜けずに地獄の因縁を結んでしまうとは哀れなものよ」。  ショックのあまり、ナンダは気を失った。

ブッダは諭された。「快楽は幸せをもたらさない。 幸せをもたらすのは節制と心の統一である。  修行に耐え智慧を磨いていけば、だれでも自在の境地に至るのだ。 道を修めなさい」。  ここでやっと目が覚めることが出来たナンダは、それからは心の統一に専心した。  そしてついに迷いを離れ、大安楽の境地に達することが出来たのである。  ▲

付記:ブッダがナンダから王位を剝がし姫も奪い給い、出家の道に向かわせたのも、仏道からみれば実は大きな慈悲でありました。 今なら人権無視ですが、でもおかげでナンダは苦界を遠く離れることができました。  現代は欲望は開放的ですが、五欲の快楽は実は失うものが大きい。 

 


  7,容赦なき言葉 

ブッダは慈悲無量の方ですが、その言葉はときに容赦がありません。  特に素質のあるものには突き放すがごとくです。

「私の弟子になろうとするものは、家を捨て世間を捨て財産を捨てなければならない。  教えのためにこれら全てを捨てた者は、私の相続者であり出家と呼ばれる。」   「戒律を守らず節制を知らず、人々の施しを受用するよりは、むしろ灼熱せる鉄丸を食らうべし。」

付記:苛烈でありますが煩悩の根を断ち切って、第一の清楽を衆生に得せしめんがため。 我ら凡人は聖人の言葉に少しでもふれて、うす汚い自分を磨かねばなりません。

 

  広大の法門

一方で、限りなくやさしい言葉もあります。  「我は万人の友たり。 一切の生きとし生けるものの同情者なり。 慈しみ

の心を修して、無傷害を楽しむ。テーラーガータ」   「どんな生き物も強いものも弱いものも、怯えているものも一切生きとし生けるものに幸あれ。 スッタニパータ」


  8,仏教は因果・因縁を説き、さらに第一義として「空」を説く 

  涅槃経 

「如来の秘密蔵は、因果・転生のみにあらず。一切空に達す。 一切空に達する故に常法顕わる。 空に達すれば空を離れる」。▲   (常法とは不死の法門のこと)

付記:真実の空の境地に至れば、❝常法❞が現れる。  常法は不滅の本心。

 付記:空を理解するにはどうしても「悟り」の体験が必要ですが、こればかりは知識だけでは無理なようです。 心意識を一点に集中する作業が必須ですが、「石の上にも三年式」の修行は現代ではもう無理か?  凡人は仏祖の大悟の機縁にふれて多少とも窺がうしかありません。 たとえば馬祖道一(ばそ・どういつ)禅師は、弟子を悟らせる名人として第一人者という。

  

  馬祖道一禅師(中国・唐)

唐時代は中国仏教の最盛期で、徳の高い悟った方々が輩出しました。 大禅匠の馬祖(ばそ)禅師に、修行僧の法常(ほうじょう)が質問した。  法常問う「如何なるかこれ仏」。  馬祖答えていわく「即心即仏!」。  法常言下に大悟した。 後に法常は大梅山に住したので、大梅法常禅師といわれる。

付記:大宗師と修行僧の双方が優れたもの同士の出会いともなれば、一問一答の下に大悟の受け渡しが完了してしまうようです。

 

  俱胝(ぐてい)和尚(唐代)

悟りを開くことの出来る人物とは、やはり頭の切れる人が多い。 しかしそうでもない方が大悟されたという事例があります。  唐代の人でたいへん信仰心は篤いが、凡庸の和尚がいました。 この和尚が思うには「愚かな自分には坐禅修行は難しい。  今生において悟りを開くことはとうてい無理なので、 毎日誦経の功徳を積んで、来世に開悟する縁を結びたい」と決意を固めた。  それからは「俱胝‥‥仏母準提陀羅尼」という三行の短い陀羅尼を、日々誦し唱え続けた。 長く熱心な精進ぶりは近隣にも知れ渡り、人々は彼を陀羅尼の名前をとって「俱胝和尚」と呼んだ。  ある日、行脚中の老尼が訪れた。 この方は実際尼という修行のでき上った長老であり、 容赦がなくこわいところがある。  なにも知らない俱胝和尚は「どうぞお休みください」 と喜んで迎えた。   すると「お前さんも僧ならば悟道の一句を言ってみよ。 もし適切なことが言えたなら休ましてもらうよ。」といきなり高飛車にきた。  これには俱胝和尚はただ圧倒されるばかりで言葉が出ない。 

すると「話にならん」と尼さんはさっと立ち去ってしまった。  なんとも屈辱的である。  俱胝和尚は自分の余りの不甲斐なさに思わず泣いた。   ああ、私は間違っていた!  「一から出直しだ。 行脚に出て正師に参じよう!」と悲壮の決心をした。  するとその夜に夢に山神さまのお告げがあった。  「俱胝和尚よ、旅に出ることはない。 近いうちにに生きた菩薩さまが来て下さる」。    そんなある日、行脚の禅僧が立ち寄った。 名は天龍和尚という。 

俱胝和尚は喜んで迎え、老尼との一件を語った。  俱胝「一体私の過ちとはなんでしょうか」。すると天龍和尚、黙って指一本を立てて見せた。 この瞬間に俱胝和尚は豁然大悟した! なんと来世を待たず悲願を成し遂げてしまった。  長年の純真

な誦経は決して無駄ではなかった。  それからは俱胝和尚は快活な日々となり人から何か問われると、常にただ指一本を立てた。  俱胝和尚が臨終のときは、「天龍和尚より受け継いだ一指頭の禅は、使っても使っても使いきれない宝だ。 受用不尽!」と余裕の言葉を残して示寂(じじゃく・死去)された。

付記:俱胝和尚の至純熱心の修行については禅の特徴がよく表れたものとして、後世の禅界でよく取り上げられています。 悟りの縁は必ず坐禅だけにあるというわけではないという。   老尼の冷たい仕打ちは、実は余計な妄念を切り払い、悟りを受け入れるのための素地になりました。  おかげで天龍和尚のわずかの所作で、見性できました。   「俱胝和尚はたった三行の呪を唱えて、その名を千載(千年)に残した」と高く評価されています。  

 付記:見性‥‥けんしょう。悟りのこと。自分の本性を徹見すること。

 

  元暁(げんきょう)和尚(唐)

元暁和尚は、長年にわたって禅定を修め経典を学んだが、一切空の真意をどうしても悟ることが出来なかった。  そこでこのままでは埒があかない、明眼の師につくしかないと決意し行脚に出た。   山を越え河を渡り、飲食もままならない命がけの旅が続いた。 どれほどの日数がたったのかわからない。 目指す老禅匠の地はまだ遠い。 その日も暮れて塚で休むことにした。 腹はへり、喉はカラカラに乾いている。 暗い中でふと手にふれたのは、丸い器である。 何と水が入っている!   「南無観世音菩薩!」  水を飲みほしたが、実に甘美でおいしく体中にしみ通った。「これぞ甘露水、ありがたや」。 気力は回復し、その夜はグッスリ眠ることができた。  翌朝、見るとドクロがある。 昨夜に飲んだ甘露水とはこれか? ゲエッ! 思わず悪寒がして吐こうとした瞬間に、忽然と悟った!  邪法の空見が打破された。   「なんと広く闊達なる境地! 三界は唯心!  自分は空の暗窟に堕ちていたが、今や自在なる世界に跳出できた。 心生ずれば種々の法生じ、心滅すれば髑髏(どくろ)不二なり」。  こうして大安楽の境地を得た元暁は直ちに自分の寺に帰り、円頓の教理を弘めたという。    禅書`‘林間録‘‘より▲

付記:いつの時代にも天才はいます。 現在もわずかに禅書を読み、少し坐っただけで、 禅旨に通底する方がいるかもしれません。  ただし野狐禅(やこぜん)というニセも多いという。

 

 

  徳本上人(とくほんしょうにん)[1758~1818]

江戸時代。徳本上人は浄土宗の高徳。 和歌山県農家の出身。 若い頃から念仏に熱心で二六才で出家。 庵を結んで一人で念仏に励んだ。 戸を釘付けにし外界を断って打ち込んだりした。 普段の食事は粉にした豆。 米麦はおろか味噌・塩も口にしないというのですから、その粗食は徹底しています。  捨て身のこの念仏行者は、ひとたび庵から出れば念仏の喜びを、人々に伝えた。 各地で念仏を広め、その名は次第に広く、知れわたった。 むつかしい理屈はなく「念仏すれば必ず救われる」。 

正味の念仏さえ味得すれば、余るほど黄金を手にするようなもの。  念仏を唱えるだけで、あとは家業に精を出すだけだという。 学問や文芸風雅の道は目に入らなかった。  人々は純真の念仏に歓喜し、生きる力を得ることができた。 和歌山のお寺で七日間の勤行の際には、阿波や淡路島からも人々が参集し、日々の参詣者が約二万人だった。 三百艘ほどの船が港を埋め尽くしたそうである。 やはり人間は尊い人格のオーラに浴したい。    大法輪誌(昭和)寺内大吉師(浄土宗)▲

         

  宇宙ロケット

盛永宗興和尚は昭和の老師で、花園大学の学長をされた話の名手です。 この方が微調整の話をされた。  「宇宙ロケットが、月に到達することが出来たのは何故か。  それは飛行軌道の微調整が出来たからである。  ただ的に向かって真っすぐに進むだけでは、何か異変があれば外れてしまう。  想定外の軌道の狂いにも修正を可能にしたのが、最先端の科学技術である。  禅の修行もただ熱心に修行に打ち込むだけでは、真の目的から外れることがある。 厳正なる禅匠の鞭撻指南が不可欠なのだ。」▲

 

 漁師の体験(盛永宗興老師の講話より)

ある漁師が森繫久彌氏(昭和の名優)に語ったという。  さる漁師「わしが16才頃のこと。 漁師になって日がまだ浅い時に、沖合で遭難したことがある。  漁船が難破し漁師は皆な海に投げ出されたが、わしだけは木片につかんで漂っていて、幸い通りがかった汽船に救助された。   帰路の海上で4,5時間たったがどうにも胸騒ぎがするので、船長にどうか今から遭難場所に戻ってほしいと頼み込んだ。   船長は何を今ごろダメだと拒否した。 それでも必死に願って拝みたおし、船長はついに『お前には負けたよ!』と難破の場所に引き返してくれた。   そこには救助ボートに乗った5名ほどの漁師仲間がいて、無事に救助できたのである。  わしはそれからは、神仏を信じるようになったよ。」   この話に森繫久彌氏は非常に感じ入ったそうである。▲

 

  熱中

宗教の特徴には熱中性と陶酔性があるという。  宗教の熱中は警戒されるところでもあります。   中でも禅は「内なる自分の本性」を求める道ですが、とかく自分中心の狭い世界にはまりやすい。  禅語の表現は天空を飛ぶかのような活発さに満ちているので、いったん禅語の魅力を知ると坐禅の経験もないインテリ氏が禅を論じたりします。  昭和の古川尭道老師は「禅については知識があれば、それらしいことが言えるものだが、まあしかし確かなものかどうかはすぐ分かるものだ」と言っておられます。(辻双明著「禅の道を辿りきて」春秋社)

付記:古川尭道老師‥‥円覚寺(鎌倉)の老師。 坐禅に徹した方。 寡黙ながらわずかな言葉でよく修行者を導いた。

禅の指導者は「内面に向かって熱心なれ、勇猛なれ」と叱咤しますが、同時に修行者が異端にならないように注意深く見守る必要があります。 熱狂を管理するというところです。  死の問題に取り組むのですから、熱狂はときに狂気のようです。

多少なり坐禅をやってみると、だれでも不思議な思いや喜びがあったりします。  本人にとっては努力の成果ですが、初めはほとんど幻影的なものです。   そこを老師がピシャリと指摘して剥ぎ取り、向上に追い立てます。


  9,坐禅

一切空の体得のために禅宗では基本は坐禅の実修です。 「坐禅によって深く禅定に入り十方の仏を見る」という体験という。 坐禅の心構えが、祖師方によって説かれていますが、その説き方は各々禅師の宗風や性向によって一様ではありません。

 

  大応国師

13世紀・中国にわたり修行。臨済宗の真髄を大悟し、日本に伝えた。「敵に向かってただ今勝負を決せんとするが如くにせよ。 ・・・  かくの如くせば、必ず一分の相応するあるべし。」▲

**臨済宗は空を体得するために、強い意志を強調しています。 闘争心を奮起して努力すれば、それ相応の所得があるという訓戒です。 一般に「無心は何も思わないこと」というのとは違いますね。 この辺の理解は、実際の体験がある正師につくしかありません。

**空という言葉からは、目的もなく喜びもないかのような、イメージにもなりますがそれは誤解です。  「人生の空虚」を打破し、大歓喜地に至る境涯です。 

 

  山岡鉄舟

その実際がたとえば剣豪です。 山岡鉄舟は異常な稽古熱心さで剣に励み、同時に坐禅に打ち込んだ人物です。 彼が43才の時に忽然と大悟した瞬間、剣の技が飛躍的に向上したそうです。  蛇足ですが、禅の坊さんが武道の達人というわけではありません。

 

  坐禅儀

仏法を学ぶには先ず大慈悲心を起こし、独り一身のために解脱を求めず。必ず衆生を度することを願うべし。(中略) 坐禅の身相定まり、気息調い、一切の念を払うべし。  久々に縁を忘ずれば、自ずから内外透徹し打成一片となる。 もしこれを得れば、則ち自然に身心軽安・精神明朗にして歓喜地に至る。  さらに一段の精彩をつけ、もし発明(ほつみょう・解脱)することあらば、龍の水を得るが如し。  水中の玉を探るには浪を静めるべし。 定水澄清なれば心中の玉、自ずから現わる。 円覚経にいわく「無礙(むげ)清浄の智慧は皆禅定によって生ず」。  坐脱立亡は須らく定力(じょうりき)による。

願わくは諸禅友、自利利他同じく正覚(しょうかく)を成ぜん。

**打成一片(だじょういっぺん)‥‥坐禅が深まり八面玲瓏、一点集中の極致。 喜悦限りなし。

**坐脱(ざだつ)‥‥坐禅の姿勢を保ったまま亡くなること。禅定力が円熟し生死自在の境地。

**立亡(りゅうぼう)‥立った姿勢で亡くなること。

 

  安祥坐脱

仏典「あらゆる世界のどこにも『死』のないところはない。 ただ清浄に生きることで死を超えることが出来る」。

  楽々北隠(ささ・ほくいん)和尚

明治期の北隠和尚は 島根県のお寺の和尚です。 若いころは岡山県の曹源寺道場で厳しい修行をした(臨済宗)。 その時の老師は儀山禅師といい、この老師は俊発機敏、悟りの見解が並はずれて高いという評判で、多くの修行僧が参じた。 儀山禅師の禅風は悪辣(あくらつ)で見込みのある修行僧に特に厳しい。 その一言一句は鋭く弟子を啓発する力があり、禅骨の人材が幾人も育った。  その中で北隠さんは能力があり真面目な修行者でしたが、ある時儀山老師に「貴様は情に欠けとる。決して世に出るな!」と一喝された。 北隠さんはこのことを深く胸に刻んで生涯を送りました。  道場での修行を終えて、島根のお寺の住持になりました。  日々枯淡を守り、囲炉裏の前でよく坐禅をする人でした。   晩年のことです。 82才の春彼岸の中日に、大勢のお参りの人たちを見て北隠さん「皆それぞれ胸の奥に観音様がおられるのじゃ」と侍僧にいう。  侍僧「みんなの胸の中に仏さまがあるんですか」  「そうや。自分を磨けば、仏さんに会えるんや」。

北隠「ところで長く世話になったが、わしもこの8月に今生の別れをしようと思う」と妙な話を始めた。

 特に体調不良というわけでもない。 5カ月先の8月にわしは逝くという。  「隠居さん死ぬんですか」 「そうや」 「8月は暑いです。それに夏の法要があり皆が忙しいです」。 侍僧はまさか本気とも思っていない。 「そうやな。そんなら今日死ぬか」 「そんな急では困ります」。  「そんなら明日の正午や」と北隠さんはやわら書付を認め「これを近所に回すように」。 侍僧は変なことをいうと思いながら知人らに知らせた。  知らせを受けたものは「またあの和尚は変なことをいう」とほとんど取り合わない。 翌日、数人がやってきた。「和尚さん、どうかしましたかい」。  北隠和尚は沐浴をすませ、白衣に涅槃衣をつけ坐禅を組んで「みんなにはたいへん世話になりましたが、今日でお別れじゃ。後のことはよろしゅう」とあいさつ。 「最後に浄瑠璃の一節をみんなに聞かせますわい」と和尚の好きな浄瑠璃を朗々とやり始めた。  しばらくして声が止んだ。 侍僧が「隠居さん、隠居さん」と声をかけたが、そのときはもう息がなく、坐禅の姿勢のままで示寂(死去)されていた。 寂年82才(明治28)▲

付記:表面は平凡で愚の如し。 儀山老師に仕込まれた、内に秘めたる鉄の意志。 無駄な力は抜けている。 強がりもなく執着もない。 ハラリと落ちる枯れ葉のようです。  生死解脱の境地を身をもって示した希代の大往生でした。 禅語「破れ衣の内に清風を包む」。

北隠和尚(1813~1895)はどこか名刹の老師でもなく、特に評判が高いわけでもなく、一介の田舎の坊さんのご生涯でした。 ただ日ごろ坐禅をよくされた。▲

付記:坐禅は習熟すると禅悦という無上の愉悦がある。(禅定または三昧)。 禅者の用心すべきはその喜びに決して安住せず、さらに一段と磨きをかけ続けることという。 北隠和尚は日々兀々禅定を磨き、生死一如の境地であられた。

付記:北隠和尚の時代は子どもの頃に、お寺に小僧さんとして入ることがありました。 貧乏ゆえにお寺に預けたケースもあるが、偉いお坊さんになってほしいという信仰の篤い家もあります。 小僧の時から厳しいしつけがあり、お経や坐禅を習うのです。 その中から北隠和尚のような方が育っていきました。

 

 禅定(ぜんじょう)

禅定は坐禅をして精神集中の極限に到達し、さらに踏み越えていく八面玲瓏の境地。 もし禅定が発得(ほっとく)すれば、身体軽安・精神爽利・正念分明となり清楽の境地に至る。 せかせか忙しい現代では実行はなかなか難しい。 (健康のためには、なるべく座る時間を減らせなどという。)


  10,山本玄峰老師(慶応2年生れ・昭和36年示寂・95才)

玄峰老師いわく「坐禅は心を統一して、一もってこれを貫く。 自分の性根玉を射止めるのじゃ。 やっていく中に第一に頭が軽くなる。 すると体が軽くなる。 何となしに空気が全身に行き渡る。足の先やら全身の毛孔から禅定が出来てくる。 思い切ってやってみい。  それは実に気持ちがよいのじゃ。」

山本玄峰老師は慶応の生まれですが、長生きされて昭和のころも活動された。 当時の禅僧の中で禅定第一と評され、「最後の本物の禅僧」と言われた。 生まれは貧しく、若いときは肉体労働に従事した。   眼疾を患い、治癒祈願のため四国遍路をされた。 遍路の途中に行き倒れ、雪渓寺の和尚に助けられた。    雪渓和尚にたずねた「わしのようなものが、坊さんになれんものでしょうか」。   この時の雪渓寺和尚のことば「お前さんは字も知らず学問もない。 それでは普通の坊さんにはなれない。 しかし真実の願心があれば、本物の坊さんにならなれる」。 「本物ならなれる」の言葉に発奮した。 俄然願心を発し、その縁で26才出家。 岐阜や岡山の修行道場で刻苦された。  字も知らず知識もないので道場の苦労は生易しくはなかった。  夜に線香3本の火で字を覚えたという。  篤実剛毅の性格で、厳しい修行も怯まず禅定を磨き、遂には大悟の体験をされた。▲

 「わしが悟ったときは、三日くらい背骨の両脇がピリピリふるえて、玉のような汗がトロリトロリと出た。 大歓喜地を得るのじゃ。」

付記:「悟ったときには背骨の両脇が三日もふるえた」と実際の体験の述懐です。  玄峰老師の修行は明治大正の時期です。  修行時代の玄峰さんが九峰老師の下で修行中、九峰老師が玄峰さんを見て「こいつは食えぬやつ」とほれ込んで、折れた重藤の弓で背中を散々ぶったたいた。  そのためにさすがの玄峰さんも、三日間はどうしても立ち上がることができなかった。   

後年、玄峰老師はこれについて「こうしたおかげで、わしも人前で偉そうに話が出来るのじゃ」と感謝されています。  

付記:師匠側には厳しい修行経験と悟りがなければならない。 参禅者側(修行の者)は師に対して、絶対的な信頼を寄せ身も心も任せる覚悟がいる。 はるか昔の師弟関係です。  こうして修行者は命をけずるほどの修行ですから、師匠を選ぶ眼(択法眼・ちゃくほうがん)がとても大事でした。

 

   山本玄峰老師のお話

「人間にとって一番大事なのは学問であるが、わしには学問がない。 そればかりか目がろくろく見えん。 それでもただこれ真心(まごころ)あるのみじゃ。  一生なんとかこの正法のために、自分は一点のウソもなく、この大法を伝えればいいと思って、どうかこうかやってきたのじゃ。」  「ものというのは疑えば疑うほど深くなる。 自分の根本智は一体どんなもの

か。 明るいか暗いか、それを疑う。 人を疑うのではない。 仏弟子として恥じることはないか。 自分の理解は正しいか。  疑って自分を磨いていくのが、体究錬磨じゃ。」  「体究錬磨というて身を苦しめ、精神を苦しめてやったものは強いものじゃ。 血をはくような修行は、その時は何のことやらわからんけれども、後になってどれだけ有難く感じるやらわからん。」  「今の人の水の使い方を見ると、わしはおそろしく思う。 惜しむことを知らないのじゃ。 平気でざぶざぶ無駄に流しておる。 仏飯を頂く僧侶はわずかの水も、惜しむ心がなくては修行はできんぞ。」  「わしが子どもの頃、子牛が売られていったが、母牛は泣いて泣いて何日も食べよらん。 それはもう親子の情が深いんじゃ。それを人間はうまいうまいと食べとるがなあ」。   「木にも虫にも知恵がありますよ。  あれは自然智というて、鳥でも動物でも智慧を持っておる。  新聞を読むこともなく放送を聞くこともなく、ただ自然智で知るのじゃ。  ところが人間という奴は、知識々々で染めつけて自然智を失っておる。  汚染されてない根本智を各々が持っておるのじゃ。  みんなこうして不自由な思いで坐禅するのも、この根本智を磨きだすためじゃ」。  

「人間の体というものはそう長くは使えない。 いずれ死ぬ。 ちょうど旅館に泊まっていて別の旅館へ宿替えするくらいの気持ちでおればよい。  死ぬというのは宿替えなのじゃが、人間に生まれるということは容易ではないから、養生の出来る限りは養生して生きていかんならん」。  「坊さんは少しわけが違う。  僧侶としての意味がなかったら何もならん。  いっぺん底の底の根本だけは、どうしても我がものにせにゃならん。  色々勉強もせにゃならんが、第一が見性じゃ。」。

           山本玄峰著「無門関提唱」発行・大法輪閣▲

付記:一言一言が胸にせまります。   「体究錬磨というて身を苦しめ、精神を苦しめてやったものは強いものじゃ。 

血をはくような修行は、その時は何のことやらわからんけれども、後になってどれだけ有難く感じるやらわからん。」

「今の人の水の使い方は、わしはおそろしく思う。 惜しむことを知らない。  平気でざぶざぶ無駄に流しておる。」

「いっぺん底の底の根本だけは、どうしても我がものにせにゃならん。」

付記:「死は宿替えじゃが、再び人間に生まれるというのは容易ではない」。来世は人間かどうかわからない。 たとえ人間としても境遇も資質もわからない。 ということで、昔の心あるものは日々誠実に生きたのです。 水をざぶざぶ使うというのは来る日には水に苦労する。 質素で親切なら次はよいことがある。

付記:現代の失ったものがここにある。 

 

  積功塁徳(しゃっく・るいとく)

 山本玄峰老師「物を知るとか覚えることは出来ても、徳を積むということはなかなか出来んのじゃ。  徳がないというのは、やせた畑みたいなもので、花も咲かず実りもうまくいかない。」

「じゃから古聖は徳を積むために、難行苦行・積功塁徳をされた。  今の人に徳を積めと言うたって、そんなものと言うかもしれんけれど、自分の体は自分のものではない、なんとかこの体を活かして少しなりとも世のために人のために使わにゃならん。」   「人の信施はみだりに受けてはならん。 修道の者が受けすぎては徳を損ずるのじゃ。」

付記:徳を積む行為‥‥法のために行う地道な作業。 禅門では典座(てんぞ・料理番)の仕事が大事だとしています。 修行僧のために食事を用意する役割が、徳を積むのです。 ただし、やり方によって徳を失うのも典座の仕事という。 米粒一つ・野菜の切れはしも気を配り、水も決して無駄にせぬようにすることで、徳になっていくと。  粗雑な気持ちではできません。  また東司(とうす・トイレ)の掃除も大切にされています。   人の見えないところで人の嫌がることをやるというのが、陰徳として尊ばれます。


  11,鈴木正三和尚(江戸時代)

「我は死ぬがいやさ故に、生き通しに生きて死なぬ身になりたさに修行するなり。われ死なぬ身にならぬ中は、生々世々をかけて修行せんと思う機をしかと持つなり」。

付記:昭和の大事業家、五島慶太翁は晩年病気に倒れ、苦しみのあまり「金はいくらでも出すから助けてくれえ!」と号泣したという。 東大卒で強引な仕事のやり方で「強盗慶太」とまで言われた猛者ですが、 いよいよ最後となると強気の人間もやはりつらい。

付記:石原慎太郎氏は最晩年に膵臓ガンで入院。 石原氏が医師に質問した「私の余命はどれほどありますか」。 医師いわく「あと三カ月」。 これには強気の氏も「神経が引き裂かれた!」とガツンと衝撃を受けた。 「心ががんじがらめになった」「信念がゆらいだ」という。  それでも「よし、では死んでやる」と開き直ったというからさすがです。   令和4年2月1日逝去、享年89才。


  12,正法(しょうほう)の時代

ブッダ在世以降より一千年間は仏法が正しく伝えられ、仏弟子は天資聡明・高潔至純な方が多かったので「正法」の時代という。 この時代は能力も人格も極めて優れた英傑が根本第一義(悟り)を求め、競って修行した時期ですが、今は信仰が下火で末法(まっぽう)の世という。  科学の進歩につれて神仏に祈ることもなく、宗教心は自然に衰えます。 だから仏教については、どうしても昔の話がありがたい。  仏教は「解脱」が主題なので凡人には手がつけられないのですが、それでも魅力があります。

    

  中峰和尚(13世紀・中国の名僧)

たとえ今生で悟りを得なくとも、強い願心を持ち続けよ。 2世3世生まれ変わって修行するのみ。 さらに百世千世にわたって修行の道が続く。 この願いを持つならば必ず仏道は成就するなり。▲

付記:仏教は必ずしも苦行主義ではありませんが、それでも祖師(ブッダの正知見を継いだ人)と言われる方々は苦修の日々でありました。  ブッダご自身も「私ほど苦行したものはいない。 私の実践した生死ギリギリの難行は現在も過去にもなく未来にもないであろう」と言われています。  禅門では根気のあるものほど鍛え甲斐があるので、特別に荒っぽく苛めたりします。   令和の世では許されません。

 

  梵網経(ぼんもうきょう)

ブッダ曰く「明らかに信ぜよ。汝はこれ当成(とうじょう)の仏、我はこれ已成(いじょう)の仏」。

(汝ら信じなさい。 だれもが必ず如来になる資格がある。 私は先に如来になったが、汝らはこれから如来になる)。


   13,動物学者ローレンツの言葉

「文明の進化は人間を幼児化させる。 情緒・情感を欠如させていく。 技術の向上は人間の依存心を増大させ, 免疫力・抵抗力を低下させる」。▲

付記:文明の恩恵は計り知れませんが、依存心の増大などの問題があります。 古代は自然が荒々しく死の畏れが身近にあり、人は危機に立ち向かい、ひたすら辛抱し、あとは腹をくくるしかなかった。 昔は幸いにも病いが治った暁には、神仏に感謝し周りへの恩を厚く感じた。 以前、あるアジアの国から女の子(10才)が、手術するために来日しました。 難しい手術を無事に終えて離日のとき、彼女は感謝をこめて「日本は天国のようです」。 素朴で心に伝わることばです。

付記:令和5年3月、社会のためには「老人の集団自殺」とか「老人の切腹」とかの話が出ています。 神代の昔から長寿は人類の願いですが、実際に長寿が増え過ぎると話が違ってきました。   昔アメリカ先住民は老人になると、「自ら寒風すさぶ氷の戸外に出て、白熊の餌食になる」という掟があったという。 乏しい食糧では老人は遠慮するしかなかった。 日本にも姨捨(おばすて)があり、小説「楢山節考」ではおばあさんが自分の歯が丈夫なのを恥じて、むしゃむしゃ食べないようにと自ら自分の歯をダメにするという話があるそうです。   日本最大の猛禽類の大鷲は、ヒナを二羽生む。 先に生まれたヒナが、次に生まれたヒナを殺してしまうが、親はそれを止めない。 生まれた瞬間に生存競争という自然の掟は厳しい。

付記:かくいう私も80代(昭和16生れ)。 日ごろは健康を気にしていますが、長生き老人は社会の負担になり老害といわれる。 しかし老人でも死の覚悟は重すぎる。 いよいよとなれば、しがみついても生きたい。南無観世音。

医薬の進歩はありがたい。 私は緑内障で毎日点眼しています。 昔なら失明するところでした。  一方で医学の進歩によって、老人が増え若い世代を圧迫するらしい。

 

  母のこと・強瀬忠昭氏(60才・埼玉・平成15サンケイ)

「私の母は農家の主婦として生涯働き続けました。 化粧をしたこともなく、病気で寝込んだ姿も私には覚えがありません。 井戸のないころには天秤棒におけで、もらい水をしていました。 稲作・麦作・野菜つくり・養蚕など全力を傾けました。 一方で子どもたちには大きな愛情を注いでくれました。  晩年体調をくずして、ここで初めて入院しました。 入院の五日目でなくなりました。  ひたすら働き続けた母を誇りに思います。」▲

付記:生きる基本は勤勉と忍耐。そして愛情。 やることをやり尽くし、最後は入院して五日目でこの世を去る。 南無観世音。


  14,修養を嫌う人😱

一方、修養・忍耐を悪しきものとして嫌う人がいます。  いわく『勤労や従順を美徳とするのは、権力に押し付けられたものであり、歪んだ考えである。  修養・忍耐などを珍重するのは、❝没落し敗者になるぞ❞と権力者に脅されて出来た弱者の道徳観である。  このような修養主義は今も日本に残る奴隷根性であり、日本人は今も自立していない』。  以上の主張です。 

「今の時代に『我慢を美徳』とするのは、無知である」という意見がありますが、これをうのみにすると反って何かとトラブルに見舞われ、余計に苦労が増えます。 仏教では、この世は苦しみの世界であるから忍耐せよという。  修養によって「人間性を磨き、人格を高める」という視点はまるで骨董品かのようですが、修養で磨かれた高貴な人格は最高の宝です。


  15,知者

  後藤新平(1858~1929)

「今日、我々の安楽というものは、祖先の努力の余慶である。 ゆえに明日の我々の子孫の幸福は、今日の我々の犠牲と努力にまたねばならぬ。  (政治の倫理化)」サンケイ新聞▲

**余慶‥‥大きな喜び。

付記:明治の人の考えは、「今の幸福は先人の犠牲によるのだから、我々も命がけで子孫のために身を捧げるほどの努力をするのが、当然である」という。  昔の人は恩に報いる心が強い。  今は豊かなためか「恩に報いる」という心は消えそう?

「国のために戦う」とか言えばマズイらしい。  ライオンと闘う武井壮氏「日本が戦争になったら、自分は外国に行く」。  映画監督の井筒和幸氏「戦争になったら皆さん、白旗あげて降参しましょう」。   小林秀雄(評論の神さま)は戦争になったら「私は一兵士として銃を持つ」。  かっては文化人にもかような発言をする人がありました。  

 

  繊維工芸機構の理事長・安嶋久氏の話(平成29)    

「今の風潮は勤勉を軽視して、個人の幸福追求の権利の声が大きい。 世間は大衆の欲望に寛大であるが、無責任な政権批判は盛んである。  百年ほど前にニーチェが『未来人は何でも知っている。そして何でも笑いものにする』と現代を見透かすようなことを言っている。  後にニーチェの言葉を受けてマックスウエーバーがいう『この未来人は心情のない享楽人であり、

中味がなく、自ら到達点にいると思い込んでいる。』」▲

付記:平等で自由ですから、だれもが❝到達点にいる❞と思い込みやすい。 

  

  池田晶子女史(哲学)

「中味もないのに有名になりたがる。 評価してほしがる」。

 

  朝永振一郎

「現代人はどうでもいいことをたくさん知って、大切な根本的な識見がない。  間食ばかり摂って栄養ある主食を欠かすようなものだ」。


  16,シュリハントク

シュリハントクは天性純心な仏弟子です。 しかしあまり頭がよろしくない。 記憶力もかなり劣る人で、大切な教えもなかなかおぼえられない。 この人の出家は大好きな兄が先に仏弟子となり、それに従ったのです。 ある日、兄に「お前みたいな者がここにいては迷惑をかけるから、もう家に帰れ」とひどく叱られた。 日頃はやさしい兄なのに、今日の厳しい言葉に傷つき悲しく物陰で泣いていました。      そこへ尊師ブッダが声をかけられた。 「シュリハントクや、お前はとてもよい心根をしている。 その心で皆といっしょに修行を続けなさい」と修行を許された。 彼は信じられないほどの喜びでした。  そしてブッダはほうき一本をシュリハントクにわたして「これで内外をきれいにしなさい。 そして『汚れをとり、迷いをはらそう』と常に念じて唱えなさい」。「お前はそれだけをやり続けなさい。他のことは何も気にしなくてよい」とやさしく示された。  そして他の修行者にも、彼に声をかけて励ますように促された。 兄は感謝にたえません。  ブッダのおそばで修行できる喜び

に、シュリハントクはこれまでになく気をひきしめました。  不器用な彼は簡単な作業も思うようにいかないが、しかしまっすぐな一念はだれにも負けない。  どれほどの年数だったのか、彼の修行は全くうむことなく続きました。 次第に五感が整い意識が深くなりました。 そしてついに深く心の統一を極め、涅槃の心を感得することができたのです。▲

付記:もし幸いに優れた指導者に出会えた修行者は、ただ師匠の指示にまかせてしまうだけでよい。  小知は大智のさまたげ。 世間は修行の邪魔になる知識があふれています。

    

  広大な法門

禅語に「官には針をも入れず。私には車馬も通ず」とあります。 これは正面玄関から入るには、厳正なる検問があり針一本のすきもないが、裏門からは車も馬も乗ったまま自由に入れるの意味。  これは仏の弟子になるのは、厳しい面となれば坐禅だ戒律だととんでもなく厳しい。 一方で万人のために開かれている。 愚かなもの・弱者・あらゆる職業人・また悪人といえども縁があれば、仏縁は結ばれるという意味です。 ひとたび仏縁が実れば、たとえ長く苦界に沈むとも必ず出離の時節が来ると。