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  16,シュリハントク

シュリハントクは天性純心な仏弟子です。 しかしあまり頭がよろしくない。 記憶力もかなり劣る人で、大切な教えもなかなかおぼえられない。 この人の出家は大好きな兄が先に仏弟子となり、それに従ったのです。 ある日、兄に「お前みたいな者がここにいては迷惑をかけるから、もう家に帰れ」とひどく叱られた。 日頃はやさしい兄なのに、今日の厳しい言葉に傷つき悲しく物陰で泣いていました。      そこへ尊師ブッダが声をかけられた。 「シュリハントクや、お前はとてもよい心根をしている。 その心で皆といっしょに修行を続けなさい」と修行を許された。 彼は信じられないほどの喜びでした。  そしてブッダはほうき一本をシュリハントクにわたして「これで内外をきれいにしなさい。 そして『汚れをとり、迷いをはらそう』と常に念じて唱えなさい」。「お前はそれだけをやり続けなさい。他のことは何も気にしなくてよい」とやさしく示された。  そして他の修行者にも、彼に声をかけて励ますように促された。 兄は感謝にたえません。  ブッダのおそばで修行できる喜び

に、シュリハントクはこれまでになく気をひきしめました。  不器用な彼は簡単な作業も思うようにいかないが、しかしまっすぐな一念はだれにも負けない。  どれほどの年数だったのか、彼の修行は全くうむことなく続きました。 次第に五感が整い意識が深くなりました。 そしてついに深く心の統一を極め、涅槃の心を感得することができたのです。▲

付記:もし幸いに優れた指導者に出会えた修行者は、ただ師匠の指示にまかせてしまうだけでよい。  小知は大智のさまたげ。 世間は修行の邪魔になる知識があふれています。

    

  広大な法門

禅語に「官には針をも入れず。私には車馬も通ず」とあります。 これは正面玄関から入るには、厳正なる検問があり針一本のすきもないが、裏門からは車も馬も乗ったまま自由に入れるの意味。  これは仏の弟子になるのは、厳しい面となれば坐禅だ戒律だととんでもなく厳しい。 一方で万人のために開かれている。 愚かなもの・弱者・あらゆる職業人・また悪人といえども縁があれば、仏縁は結ばれるという意味です。 ひとたび仏縁が実れば、たとえ長く苦界に沈むとも必ず出離の時節が来ると。