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  10,山本玄峰老師(慶応2年生れ・昭和36年示寂・95才)

玄峰老師いわく「坐禅は心を統一して、一もってこれを貫く。 自分の性根玉を射止めるのじゃ。 やっていく中に第一に頭が軽くなる。 すると体が軽くなる。 何となしに空気が全身に行き渡る。足の先やら全身の毛孔から禅定が出来てくる。 思い切ってやってみい。  それは実に気持ちがよいのじゃ。」

山本玄峰老師は慶応の生まれですが、長生きされて昭和のころも活動された。 当時の禅僧の中で禅定第一と評され、「最後の本物の禅僧」と言われた。 生まれは貧しく、若いときは肉体労働に従事した。   眼疾を患い、治癒祈願のため四国遍路をされた。 遍路の途中に行き倒れ、雪渓寺の和尚に助けられた。    雪渓和尚にたずねた「わしのようなものが、坊さんになれんものでしょうか」。   この時の雪渓寺和尚のことば「お前さんは字も知らず学問もない。 それでは普通の坊さんにはなれない。 しかし真実の願心があれば、本物の坊さんにならなれる」。 「本物ならなれる」の言葉に発奮した。 俄然願心を発し、その縁で26才出家。 岐阜や岡山の修行道場で刻苦された。  字も知らず知識もないので道場の苦労は生易しくはなかった。  夜に線香3本の火で字を覚えたという。  篤実剛毅の性格で、厳しい修行も怯まず禅定を磨き、遂には大悟の体験をされた。▲

 「わしが悟ったときは、三日くらい背骨の両脇がピリピリふるえて、玉のような汗がトロリトロリと出た。 大歓喜地を得るのじゃ。」

付記:「悟ったときには背骨の両脇が三日もふるえた」と実際の体験の述懐です。  玄峰老師の修行は明治大正の時期です。  修行時代の玄峰さんが九峰老師の下で修行中、九峰老師が玄峰さんを見て「こいつは食えぬやつ」とほれ込んで、折れた重藤の弓で背中を散々ぶったたいた。  そのためにさすがの玄峰さんも、三日間はどうしても立ち上がることができなかった。   

後年、玄峰老師はこれについて「こうしたおかげで、わしも人前で偉そうに話が出来るのじゃ」と感謝されています。  

付記:師匠側には厳しい修行経験と悟りがなければならない。 参禅者側(修行の者)は師に対して、絶対的な信頼を寄せ身も心も任せる覚悟がいる。 はるか昔の師弟関係です。  こうして修行者は命をけずるほどの修行ですから、師匠を選ぶ眼(択法眼・ちゃくほうがん)がとても大事でした。

 

   山本玄峰老師のお話

「人間にとって一番大事なのは学問であるが、わしには学問がない。 そればかりか目がろくろく見えん。 それでもただこれ真心(まごころ)あるのみじゃ。  一生なんとかこの正法のために、自分は一点のウソもなく、この大法を伝えればいいと思って、どうかこうかやってきたのじゃ。」  「ものというのは疑えば疑うほど深くなる。 自分の根本智は一体どんなもの

か。 明るいか暗いか、それを疑う。 人を疑うのではない。 仏弟子として恥じることはないか。 自分の理解は正しいか。  疑って自分を磨いていくのが、体究錬磨じゃ。」  「体究錬磨というて身を苦しめ、精神を苦しめてやったものは強いものじゃ。 血をはくような修行は、その時は何のことやらわからんけれども、後になってどれだけ有難く感じるやらわからん。」  「今の人の水の使い方を見ると、わしはおそろしく思う。 惜しむことを知らないのじゃ。 平気でざぶざぶ無駄に流しておる。 仏飯を頂く僧侶はわずかの水も、惜しむ心がなくては修行はできんぞ。」  「わしが子どもの頃、子牛が売られていったが、母牛は泣いて泣いて何日も食べよらん。 それはもう親子の情が深いんじゃ。それを人間はうまいうまいと食べとるがなあ」。   「木にも虫にも知恵がありますよ。  あれは自然智というて、鳥でも動物でも智慧を持っておる。  新聞を読むこともなく放送を聞くこともなく、ただ自然智で知るのじゃ。  ところが人間という奴は、知識々々で染めつけて自然智を失っておる。  汚染されてない根本智を各々が持っておるのじゃ。  みんなこうして不自由な思いで坐禅するのも、この根本智を磨きだすためじゃ」。  

「人間の体というものはそう長くは使えない。 いずれ死ぬ。 ちょうど旅館に泊まっていて別の旅館へ宿替えするくらいの気持ちでおればよい。  死ぬというのは宿替えなのじゃが、人間に生まれるということは容易ではないから、養生の出来る限りは養生して生きていかんならん」。  「坊さんは少しわけが違う。  僧侶としての意味がなかったら何もならん。  いっぺん底の底の根本だけは、どうしても我がものにせにゃならん。  色々勉強もせにゃならんが、第一が見性じゃ。」。

           山本玄峰著「無門関提唱」発行・大法輪閣▲

付記:一言一言が胸にせまります。   「体究錬磨というて身を苦しめ、精神を苦しめてやったものは強いものじゃ。 

血をはくような修行は、その時は何のことやらわからんけれども、後になってどれだけ有難く感じるやらわからん。」

「今の人の水の使い方は、わしはおそろしく思う。 惜しむことを知らない。  平気でざぶざぶ無駄に流しておる。」

「いっぺん底の底の根本だけは、どうしても我がものにせにゃならん。」

付記:「死は宿替えじゃが、再び人間に生まれるというのは容易ではない」。来世は人間かどうかわからない。 たとえ人間としても境遇も資質もわからない。 ということで、昔の心あるものは日々誠実に生きたのです。 水をざぶざぶ使うというのは来る日には水に苦労する。 質素で親切なら次はよいことがある。

付記:現代の失ったものがここにある。 

 

  積功塁徳(しゃっく・るいとく)

 山本玄峰老師「物を知るとか覚えることは出来ても、徳を積むということはなかなか出来んのじゃ。  徳がないというのは、やせた畑みたいなもので、花も咲かず実りもうまくいかない。」

「じゃから古聖は徳を積むために、難行苦行・積功塁徳をされた。  今の人に徳を積めと言うたって、そんなものと言うかもしれんけれど、自分の体は自分のものではない、なんとかこの体を活かして少しなりとも世のために人のために使わにゃならん。」   「人の信施はみだりに受けてはならん。 修道の者が受けすぎては徳を損ずるのじゃ。」

付記:徳を積む行為‥‥法のために行う地道な作業。 禅門では典座(てんぞ・料理番)の仕事が大事だとしています。 修行僧のために食事を用意する役割が、徳を積むのです。 ただし、やり方によって徳を失うのも典座の仕事という。 米粒一つ・野菜の切れはしも気を配り、水も決して無駄にせぬようにすることで、徳になっていくと。  粗雑な気持ちではできません。  また東司(とうす・トイレ)の掃除も大切にされています。   人の見えないところで人の嫌がることをやるというのが、陰徳として尊ばれます。