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  9,坐禅

一切空の体得のために禅宗では基本は坐禅の実修です。 「坐禅によって深く禅定に入り十方の仏を見る」という体験という。 坐禅の心構えが、祖師方によって説かれていますが、その説き方は各々禅師の宗風や性向によって一様ではありません。

 

  大応国師

13世紀・中国にわたり修行。臨済宗の真髄を大悟し、日本に伝えた。「敵に向かってただ今勝負を決せんとするが如くにせよ。 ・・・  かくの如くせば、必ず一分の相応するあるべし。」▲

**臨済宗は空を体得するために、強い意志を強調しています。 闘争心を奮起して努力すれば、それ相応の所得があるという訓戒です。 一般に「無心は何も思わないこと」というのとは違いますね。 この辺の理解は、実際の体験がある正師につくしかありません。

**空という言葉からは、目的もなく喜びもないかのような、イメージにもなりますがそれは誤解です。  「人生の空虚」を打破し、大歓喜地に至る境涯です。 

 

  山岡鉄舟

その実際がたとえば剣豪です。 山岡鉄舟は異常な稽古熱心さで剣に励み、同時に坐禅に打ち込んだ人物です。 彼が43才の時に忽然と大悟した瞬間、剣の技が飛躍的に向上したそうです。  蛇足ですが、禅の坊さんが武道の達人というわけではありません。

 

  坐禅儀

仏法を学ぶには先ず大慈悲心を起こし、独り一身のために解脱を求めず。必ず衆生を度することを願うべし。(中略) 坐禅の身相定まり、気息調い、一切の念を払うべし。  久々に縁を忘ずれば、自ずから内外透徹し打成一片となる。 もしこれを得れば、則ち自然に身心軽安・精神明朗にして歓喜地に至る。  さらに一段の精彩をつけ、もし発明(ほつみょう・解脱)することあらば、龍の水を得るが如し。  水中の玉を探るには浪を静めるべし。 定水澄清なれば心中の玉、自ずから現わる。 円覚経にいわく「無礙(むげ)清浄の智慧は皆禅定によって生ず」。  坐脱立亡は須らく定力(じょうりき)による。

願わくは諸禅友、自利利他同じく正覚(しょうかく)を成ぜん。

**打成一片(だじょういっぺん)‥‥坐禅が深まり八面玲瓏、一点集中の極致。 喜悦限りなし。

**坐脱(ざだつ)‥‥坐禅の姿勢を保ったまま亡くなること。禅定力が円熟し生死自在の境地。

**立亡(りゅうぼう)‥立った姿勢で亡くなること。

 

  安祥坐脱

仏典「あらゆる世界のどこにも『死』のないところはない。 ただ清浄に生きることで死を超えることが出来る」。

  楽々北隠(ささ・ほくいん)和尚

明治期の北隠和尚は 島根県のお寺の和尚です。 若いころは岡山県の曹源寺道場で厳しい修行をした(臨済宗)。 その時の老師は儀山禅師といい、この老師は俊発機敏、悟りの見解が並はずれて高いという評判で、多くの修行僧が参じた。 儀山禅師の禅風は悪辣(あくらつ)で見込みのある修行僧に特に厳しい。 その一言一句は鋭く弟子を啓発する力があり、禅骨の人材が幾人も育った。  その中で北隠さんは能力があり真面目な修行者でしたが、ある時儀山老師に「貴様は情に欠けとる。決して世に出るな!」と一喝された。 北隠さんはこのことを深く胸に刻んで生涯を送りました。  道場での修行を終えて、島根のお寺の住持になりました。  日々枯淡を守り、囲炉裏の前でよく坐禅をする人でした。   晩年のことです。 82才の春彼岸の中日に、大勢のお参りの人たちを見て北隠さん「皆それぞれ胸の奥に観音様がおられるのじゃ」と侍僧にいう。  侍僧「みんなの胸の中に仏さまがあるんですか」  「そうや。自分を磨けば、仏さんに会えるんや」。

北隠「ところで長く世話になったが、わしもこの8月に今生の別れをしようと思う」と妙な話を始めた。

 特に体調不良というわけでもない。 5カ月先の8月にわしは逝くという。  「隠居さん死ぬんですか」 「そうや」 「8月は暑いです。それに夏の法要があり皆が忙しいです」。 侍僧はまさか本気とも思っていない。 「そうやな。そんなら今日死ぬか」 「そんな急では困ります」。  「そんなら明日の正午や」と北隠さんはやわら書付を認め「これを近所に回すように」。 侍僧は変なことをいうと思いながら知人らに知らせた。  知らせを受けたものは「またあの和尚は変なことをいう」とほとんど取り合わない。 翌日、数人がやってきた。「和尚さん、どうかしましたかい」。  北隠和尚は沐浴をすませ、白衣に涅槃衣をつけ坐禅を組んで「みんなにはたいへん世話になりましたが、今日でお別れじゃ。後のことはよろしゅう」とあいさつ。 「最後に浄瑠璃の一節をみんなに聞かせますわい」と和尚の好きな浄瑠璃を朗々とやり始めた。  しばらくして声が止んだ。 侍僧が「隠居さん、隠居さん」と声をかけたが、そのときはもう息がなく、坐禅の姿勢のままで示寂(死去)されていた。 寂年82才(明治28)▲

付記:表面は平凡で愚の如し。 儀山老師に仕込まれた、内に秘めたる鉄の意志。 無駄な力は抜けている。 強がりもなく執着もない。 ハラリと落ちる枯れ葉のようです。  生死解脱の境地を身をもって示した希代の大往生でした。 禅語「破れ衣の内に清風を包む」。

北隠和尚(1813~1895)はどこか名刹の老師でもなく、特に評判が高いわけでもなく、一介の田舎の坊さんのご生涯でした。 ただ日ごろ坐禅をよくされた。▲

付記:坐禅は習熟すると禅悦という無上の愉悦がある。(禅定または三昧)。 禅者の用心すべきはその喜びに決して安住せず、さらに一段と磨きをかけ続けることという。 北隠和尚は日々兀々禅定を磨き、生死一如の境地であられた。

付記:北隠和尚の時代は子どもの頃に、お寺に小僧さんとして入ることがありました。 貧乏ゆえにお寺に預けたケースもあるが、偉いお坊さんになってほしいという信仰の篤い家もあります。 小僧の時から厳しいしつけがあり、お経や坐禅を習うのです。 その中から北隠和尚のような方が育っていきました。

 

 禅定(ぜんじょう)

禅定は坐禅をして精神集中の極限に到達し、さらに踏み越えていく八面玲瓏の境地。 もし禅定が発得(ほっとく)すれば、身体軽安・精神爽利・正念分明となり清楽の境地に至る。 せかせか忙しい現代では実行はなかなか難しい。 (健康のためには、なるべく座る時間を減らせなどという。)